あれから25年(08-05-25 SUN.)

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日照時間0分) 朝から霧のような雨が降り続き、気温は18度前後で暑くもなく寒くもなく、身体も心もしっとりと潤うような一日でした。
 朝、咲き始めたベランダの薔薇を眺めていたら、こんな街中の何処で生きているのでしょう、一匹のテントウ虫。雨で鮮やかさを増した黄色と緑の中で、背中の赤が艶やかに輝いていました。

 晴れる予報はなかったけれど、こんな日の海を見たくて、男鹿半島に出かけました。
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 ↑霧雨で水平線が雲と一つになって、視界はどこまでも灰色一色の加茂青砂の海岸。海岸の岩や小石が緑っぽく、海草のアオサが良くとれることから加茂青砂、その名の通りの海岸です。
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 ↑この海岸で、日本海中部大地震による大津波で、遠足に来た合川南小学校の4年生と5年生の13人の幼い命が呑みこまれたのが丁度25年前の明日、1983年5月26日でした。
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 助けを求める子供たちの悲鳴と鳴き声、助けようとしても襲い来る大波で何ともし難い大人たちの悲痛な声が飛び交う、地獄のような情景があっただろうとは想像もつかない、今日の静かな海岸でした。
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 25年前の5月26日午前11時59分57秒、地震発生の時、小学5年の娘は修学旅行で仙台に、小学2年の息子は歩いて15分ほどの小学校、女房は昼飯の支度で台所、私は店におりました。娘は旅行の帰途、秋田が壊滅したような噂話を聞き、地震にあったのと同じくらいの恐怖を体験したようでしたが、幸いにも、私たち家族は全員無事に再会することができました。
 ・・・↑の写真右の自動販売機の脇に止めた車から、私たちと同じ年代の女性、その息子さんらしき若者、そして若者のお嫁さんと子供たち、そう思しき家族が降りてきました。
 家族は、販売機と車の間の小路を入ってゆき、5分ほどで出てきて海岸に降り、岩に何かを手向け、その周りを歩き回り、しばらくして車をUターンさせて帰ってゆきました。
あれから25年(08-05-25 SUN.)_c0084908_23184912.jpg 先ほど、家族が入って行った小路には、犠牲となった13人の子供たちの慰霊碑がありました。
 今が盛りと咲くクローバーを摘み、お供えをしてきました。合掌。


あれから25年(08-05-25 SUN.)_c0084908_9572014.jpg 秋田の子供たちが、一度は見たいと思っている水族館GAOのある戸賀湾を通って帰ってきました。
 沿道のハマナスが、いい香りを放ちながら咲いていました。
by nbhkkry20 | 2008-05-25 23:26 | 秋田のいろいろ
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